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富岡製糸場

ハレーションではありません
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藤岡から長野に抜ける 上信越自動車道の
富岡あたりに
ピーナッツのようなオブジェがあって
それが 繭の形をした 富岡製糸の看板だ
という事は知っていました。

実家に行く時通る道なので
一度寄ってみよう と思いながら
世界遺産になって たくさんの人が訪れている、
ということになってしまって、腰が引けた感じでいました。

去年、富士山麓にあるような風穴が 下仁田にもあるんだと
勘違いして寄った「荒船風穴」の 続き、になりますか。

明治5年、1872年11月4日 富岡製糸場操業開始とある、その建物は
「木骨レンガ作り」というらしい。
文明開化のにおいがする。

製糸業というと ああ野麦峠の女工哀史的なイメージがあるけれど
実際のところはどうだったのでしょう。
現代の私たちの生活から見れば いずれにせよ 過酷だったことは確かでしょうけど。

建物の構造材は 柱に杉 梁に松を使っているとの説明がありましたが
禿げたペンキの下に見えた木目は
杉ではなさそうでした。
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正面のアーチを支える柱だから ケヤキを使った ということもあるでしょう。

伝聞ではなく 実際に触れることがいいのだろうけど
歴史は 遠い影で、
だから少しは考えながら眺めないといけません。

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Commented by e-ku-bo3 at 2015-11-19 08:01
世界遺産になってから、訪れる人が急増したという富岡製糸場は立派なれんが造りなんですね。
しかも木の柱で支えてる?よく持っているものです。
明治と言う時代が、文明開化で華やかに急成長していったその裏側では、
大変過酷で貧しい生活も強いられていた時代だったということを、最近読んだ本で知りました。

小学校の頃、学校で、繭から糸を取る過程を、実物で展示して見せられたことが有りましたが
その臭いたるや、相当なものでした。その中で1日中働くと言うだけで、過酷だったと想像します。
でもきっと、日本の絹に誇りをもって働いてる人もいたと、思いたいですね。
Commented by kinokoji at 2015-11-20 00:48
e-ku-bo3さん
富岡製糸場の最初は指導者育成の場だったようで、民間に払い下げられた後、労働条件は当然変わったようです。「大変だったけど、家に居たらもっと大変だった」という時代だった。そういう時代をイメージできない私は幸せなのでしょう。
繭をお湯に入れると柔らかくなって繊維を取り出すことができる、ということ富岡に行って知りましたが、このとき、茹だった幼虫をつまみ食いしたという話は母親だったかおばあさんだったかに聞いたことがありました。ゲテモノ食いの信州の食べ物屋では いまでもこの虫を出すとこがあるようです。
by kinokoji | 2015-11-13 01:19 | 建築 | Comments(2)